大学3年生頃。
非常に怠惰な大学生活を過ごしていた私であったが、さすがに3回生になると「留年」の二文字が激しく目の前にちらついてきた。残り単位を調べると、この3回生の間に時間割をきっちり詰め込めば、理論上は4年で卒業できることが分かった。
激しく焦った私は今までの遅れを取り戻すようにマジメに講義に出席するようになり、無事4年で卒業することが出来た。が、今はそれはどうでも良い。
ちょうどその頃、サークルのMori先輩がAppleのPowerMacintosh 7600/132を手放そうとしている、という話をS間先輩から聞いた。その頃私は激しくApple製品に興味を持っており、2万円で買い取りましょうかという申し出をした所、それはあっさり受け入れられ、我が家に遂に憧れのMacintoshがやって来た。
当時は既にiMacが出ており、PM7600は随分と時代遅れのマシンであった。手元のWindowsマシンでは苦もなく再生できるムービーも、このMacでは荷が重かった。それでも、憧れのMacintoshでQuickTimeを使ってムービーを見ていると、随分と嬉しい気持ちになったことを覚えている。
あまりはっきり覚えていないのだが、確かそれから半年ほど後。私は期待に胸を膨らませてO川先輩を待っていた。当時私はコンパイルのDiscStation Vol.1を手に入れたが、5インチFDが使えるマシンを持っていないという状態であった。そのため、5インチFDのゲームが出来るFDドライブと音源を備えた適当なPC-9801シリーズを求めていた。その折にO川先輩の研究室でPC-9801DA2を廃棄することになり、それを頂けるという約束になっていたのである。
頂いたPC-9801DA2はかなり汚かったので、まずは雑巾で綺麗に拭いた。早速、手元にあった(大学のゴミ捨て場から拾ってきた)5インチのブランクディスクを入れようとしてみた所、何故か入らない。何かがつっかえている様子であった。
無理矢理入れたらFDが曲がってしまい、最初からDiscStationのディスクを差し込まなくて良かったと安堵しながら分解した所、何やら妙な金属カバーが落下してカラカラといっていた。これが有名な5インチFDドライブ[FD1155D]のヘッドカバーの脱落であるが、当時はそのようなことは全く知らなかった。
カバーを取り除いた所、無事にFDドライブは使えるようになり、DiscStation Vol.1 のゲームを楽しむことが出来た。大きな満足であった。
この頃に私の家にあったPCは、PC-9821V10、PC-9801N、PC-9801DA2、PowerMacintosh 7600/132、自作PC/AT互換機(K6-2/450MHz)の5台であった。このくらいになると、もう一台くらい増えてもどうってことない、という心理状態になった。そして、無節操にパソコンを集め出すことへとなっていくのであった。