大学に入ってから。
1998年、辛うじて某阪大学理学部物理学科に潜り込んだ私は、とりあえず入るサークルを探していた。候補は、文芸部、オーケストラ、落語研究会、RPG研究会、等であった。すげぇバラバラなのは私が基本的に浅く広くの趣味を持っているからであり、あまり深い意味は無かったりする。
生活のためにもバイトをしなければならなかったので、急がしいオケはパスし、とりあえずサークルオリエンテーションの時にRPG研究会に行ってみた。行ってみたその日は友人と一緒だったのでとりあえず活動日時等を聞いただけだったのだが、そのなんとなく気楽そうな雰囲気とダメダメっぽい感じに惹かれ、入るのはこのRPG研究会にしようとその時決めたのだった。
※ちなみにこのRPG研究会というのは、コンピュータRPGではなくてテーブルトークRPGをやっているところです。よく分からない人は別にいいです(ぉ。
さて、活動に最初に行ったときには、会長だという山口氏が立てたT&T(トンネルズ&トロールズ)をプレイした。この時私の頭には、
「なるほど、この人はファンタジー系をやる人なのか」
というイメージが刷り込まれたのだが、数ヶ月後にはこの印象は粉々に吹き飛んだ。まさか、ヤク大好きでサイバーパンクに萌え萌えな非常にアヤシイ人である、とまでT&Tだけで想像を及ばせることは不可能だったのである(ぷ。
しばらくして始まった最初のキャンペーンは、tadawo氏の立てた、「GURPS サクラマ」の卓に参加した。今思えば、これが氏のオリジナルTRPG、「RACE」の始まりに違いない。……と書こうと思ったが、よく考えると全然違うものなので、やっぱ関係ねーや、と言っておく。氏は、最初はPC-9821Ct16を使っておりバリバリの旧蜂野郎だったのだが、絵描きでもあるが故に後に例の青白G3Macを購入し、現在はバリバリの林檎野郎へと変貌を遂げておられる。
また、この時のキャンペーンのメンバーに、ここのバナーを描いて下さっている、竹馬浪人氏がいた。氏は、なんというか非常に独特な話し方をする方であり、私が怪しげなしゃべり方をするようになったのも、氏のおかげである。氏もナカナカの電脳っぷりであり、2001年1月には自宅に無線LANを導入し、その室内にデンパを飛ばしまくる姿から、晴れてデンパの総統の名を確実な物とされた。
もう一人は、HIMOTO氏であり、氏も非常に電脳系の色の強い方であったことを、後に知ることになる。氏はPC/AT、それも常に時代の最先端を追い求め、「男ならフルSCSI」「時代は15000rpmだ」「CPUはデュアルに決まっている」など、常に男の道を示して下さっている。
さて、サークルには、私と同学年に「忍者」がいた。あだ名が忍者である。奴も理学部であり(数学科だが)、しばらく話すウチに、私は奴に自分と同じ匂いを感じた。……そう、奴はゲーマーだったのだ。しかも、生ぬるいコンシューマゲームなど一切やらない真のアーケードゲーマーだったのだ。(が、忍者は現在、「ギャルゲーに萌える」という周りの誰も想像していなかった道へと滑り落ち、真のアーケードゲーマーでは無くなってしまった。最もそれ故に、奴もパソコンを購入し、晴れて電脳人間の仲間入りを果たしたのだが)。
奴と共に私は大学のそばにあるゲーセン「ゲーマーズハウス・ガンマ」に通い、1限キャンセルガンマ、ガンマ2コンボなどの連続技を共に決めていた(ぷ。
私はこうして1年生の間は、ひたすらゲーセンに通って毎週土曜日にはサークルでTRPGをプレイし、そしてバイトに精を出していた。当然単位は落としまくっていたが、3年生で大体取り返せた。我ながらあの3年時の頑張りはスゴかったと思う。
私が2年生になると、しばらくサークルに来ていなかった熱気パラサ氏がよく顔を出すようになった。最初にその姿を見たときはどうも自分と波長が合わなさそうだと思い敬遠していたのだが、氏も旧蜂が大好きだと知り、突如として私は氏になつくようになった(ぷ。
何より熱気パラサ氏は凄かった。フリーソフトウェア作家だと聞いて私はひれ伏し、そのパソコンの知識に教えを乞い、旧蜂を極限までパワーアップしているその姿に脱帽した。そして、それを上回る氏の凄さが、ギャルゲーへの異常なほどの造詣の深さであった。エルフのゲームしかプレイしたことの無かった私は、イロイロと氏に教えてもらい、そして保科委員長との運命の出会いがあるのだが、今はそれを語る所ではない。
最も氏は、はっきりとソフト屋であり、私はどちらかと言えばハード屋なので、PC-9801系については今では私の方が詳しくなってしまった。氏は残念ながら古いマシンにはあまり興味を示さずX-Mateに萌える生活を送っていたので、PC-9821系はパラサ氏に任せることにして、私はさらにPC-9801系に萌えていった。
そんな今、私の一つ下に、旧蜂電脳人間化しそうなKTP君がいる。が、彼はバリバリの富士通野郎であり、FM-V Bibloを保有していたという、実になんというか私的に許せない存在であった(ぉ。私は幾度と無く彼にNECマシンの素晴らしさ、旧蜂のイケてる度を語り、要らない旧蜂を譲渡しようと言ったのだが、彼はどうしても受け取ろうとはしなかった。やはり、不治痛に占領されたその心の傷が深いのであろう(ぷ。
こうして私は、大学で出会った様々な先輩・友人のお陰で、PC-9800シリーズへの愛を更に深めていったのである。