黎明期

小学生の頃。


 私が初めてパソコンに触ったのは、小学校2年生くらいの時であった。
 それは、ウチの隣の隣の隣に住んでいた(団地だったので隣の階段の人)、確か岡田さんとか岡本さんだとかいう人の家にあがった時のコトである。

 氏の部屋にはパソコンが鎮座しており、それが俄然私の興味を惹いた。機種はもう忘れてしまった(というか見てない)のだが、確か、白っぽくて、キーボードのキーが妙に平べったかったと思う。現物を見れば分かるかもしれない。
 そのパソコンの画面では、何か、車のような物が動いていた。氏は少しやってみせてくれた。レースゲームであった。私にもやらせてくれて、私はそのゲームに一度で夢中になった。今考えても、非常になめらかなスクロールでスピード感もあったし、ナカナカの出来である。あれは氏が自分で作ったのだろうか。だとしたらスゴすぎる。今の私でも、あれだけのゲームを一人で作るのはムリである。
 ……しかし、考えてみれば、私のゲーマーの気質はあの時からあったんだなぁ(ぉ。

 さて、その岡田さんだか岡本さんだかは子供が好きな方で、私はそれから、よくそのパソコンでレーシングゲームで遊ばせてもらっていた。今となっては、もはやその、しつこいが岡田さんだか岡本さんだかの行方は当然ながら不明で、たぶん向こうも私のことは覚えていないであろう。もし再会できたら、是非とも、お礼が言いたい方である。

 それから数年後。私は学研が好きだった。
 って、パソコンと何の脈絡も無いように思われるかもしれないが、まぁ聞いて欲しい。

 私は小学生1年から6年まで、ずっと学研を取っていた。
 というのもどうやら親も学研好きだったようで、ともかく私の家庭は、小学1年生の時から卒業するまで、学研が科学・学習ともに毎号来ていたのである。なので、私はしばらくの間は、学研という物はどんな家庭にも来ている物だと思っていたくらいである。いや、ホント。

 学研は素晴らしかった。科学の付録に私は萌えて、日光カメラの印画紙を当然のごとく太陽の下で開けて全部ダメにしたり、カブトガニにエサをやり忘れてなんだかどろどろとした液体を作ってしまったり、朝顔の観察日記をもちろん3日で飽きて付けなくなった。
 そんなことはあったものの、まぁ私が物理屋への道を選んだのも、学研のおかげであることは間違いない。よって感謝である。

 さて、その学研の科学で、MSXでのBASICプログラミングの連載があった。

 現在(2001年)に比べれば、当時のパソコンの一般家庭への普及率などゼロと言っても良く(もちろん我が家にもパソコンなぞ無かった)、これも当時の学研科学編集部の先見の明か、はたまたあの記事の執筆者の趣味だったのか。なんか、やたら布地の薄い衣装を着た電脳少女が解説するマンガ記事だったので、どうも後者の説が有力であるが(笑)、真相は分からない。
 しかし、当時はMSXが一躍脚光を浴びていた時代でもあり、前者の可能性もある。
 まぁ結局MSXはアレでナニだったのだが、それは今はどうでもいい(ぉ。

 その連載には、当然ながらプログラムリストが付いていた。良く覚えていないが、ドットをひたすら避ける、簡単なゲームだったと思う。
 そのプログラムリストの脇にあった注釈が、私の目を惹いた。

「○○〜○○行目の、並んでいる1と0を変えると、キャラの形が変わります」

 はじめ、私にはそれが何を意味するのかが、イマイチよく分からなかった。まぁ小学生だったし、BASICの文法はおろかBASICとは何かすら分かっていなかったし、そんな小学生がその文だけですぐに理解してしまう方が異常だ。
 が、自分でもスゴいと思うのだが、何度かそのリストを見て、画面写真を見て、そして確かに私はその時、

「ははぁ、この1という所を黒で塗り潰して、0の所が空白になるから、それで絵が描けるんだな」

 と、漠然と理解したのである。
 ……という記憶があるのだが、いささかあやふやなので、実は後で捏造した物かもしれない(ぉ。今では真相は藪の中である。

 しかし、ともかく、「よく分からないけどこんなことができるパソコンという物は面白そうだ」と思ったことは確かであった。

 こうして、小学生の間に、私はパソコンへの予備知識を確実に付けていたのである。


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