しばしパソコンから離れる。
高校3年生になって、さすがに受験が近づいてきたので、私はしばらく同人活動を中止した。それ故にワープロとしてパソコンを使うことも少なくなり、この頃はあまりパソコンに触らなかった気がする。
確かこの頃、ASCIIのHotCafeとHyperNet社の複合サービス、「ASCII Internet Freeway」というインターネット無料接続サービスがあったため、これを用いてネットに初めて繋いだのだが、このHyperNet社がすぐに潰れてしまったので、それと同時にネットもあまり使わないようになってしまった。
さらに高校3年の夏にイロイロと複雑なことがあって(ぷ、私は勉強一筋野郎となり、完全に受験体勢へと入った。夏前までは東京工業大学志望だったのが、まぁイロイロとあって(ぉ、秋には大阪大学理学部物理学科が第一志望であった。ハンダイは宇宙地球科学科が有名で、ここで宇宙の研究を是非してみたいと思っていたのだが、入って一年も経った頃には電気と情報以外には一切興味が無くなってしまった。
のだが、まぁそれはどうでもいい。
(2002年4月加筆:あぁ……基礎工学部情報科学科に行っておけば良かったなぁ……ホントに。)
受験前日に泊まったホテルの目の前にゲーセンがあったために夜はずっとゲーセンに籠もってたとか、試験が終わると石橋駅そばのゲーセンでやはり嬉々としてゲームをしたとかあるのだが、とにかくよく分からないうちに、まぁ合格できた。私は合格発表を見たその足で、関西の秋葉原と言われる日本橋に行った。日本橋は秋葉原に比べて分かりやすい街であり(その時はそう思った)、そこで突然、所有しているPC-9821V10/S5KCのパワーアップがしたくなった。
そして私は、実家に帰れば秋葉原に行けるというのに、わざわざ旅先で、メルコ製「EMW-P64MS」(32MのSIMM2枚)、I.Oデータ製ビデオボード「GA-PGDX4/98PCI」、NEC製「PC-9821XA-E02」(増設用FDDドライブ)を購入した。これらの大荷物を持って私は新幹線に乗り、横浜の実家へと帰っていった。
家に帰り、私は初めてパソコンの蓋を開けた。メモリを取り付けるのはものすごく緊張した。2万円もした(なぜか2001年現在、32MB SIMM2枚は3万円するのだが)メモリをスロットに入れ、思い切って、ツメへとはめこむべく立ち上げた。ぱちり、と綺麗な音がして、見事にセットできた。
PCIスロットにビデオボードを刺すのは簡単だった。ドライバのインストールも、マニュアルの通りにやって簡単にセットアップできた。
こうして、メモリとビデオがパワーアップした私の旧蜂は、前の遅さが信じられないほど早くなった。なにより嬉しかったのは、今までは重くてとても動かなかった、コンパイルのDiscStationのゲームが快適に動くようになったことだった。私は、しばらく離れていたパソコンにまた日々向かうようになり、電脳人間化していった。
大学に通うため、私は横浜から大阪に引っ越さねばならなくなった。その一人暮らしの準備をすべく、私は3月に荷造りに取りかかった。ほとんどの荷物は本だったのだが、最後に丁寧に包んだ荷物は、当然の事ながら、PC-9821V10/S5KCであった。