更新:$Date:: 2013-08-17 02:22:22 +0900#$, $Rev: 110 $
JTBでホテルを手配した際、朝食は宿泊料に込みのプランであったため、イギリスにいる間の6泊8日の朝食はすべてホテル内のレストランでブレックファーストをいただいた。イギリスのごはんはマズいマズいと言われるが、朝食だけは美味しいと聞く。そのため、「イギリスで美味しいものが食べたければ、三食とも朝食を食べると良い」とも言われる。
さてこのイギリスのホテルでの朝食は、コンチネンタルブレックファーストとイングリッシュブレックファーストの二種類がある。
コンチネンタルブレックファーストとは、日本のビジネスホテルでも時折見るが、簡易朝食である。パン、バター、コーヒーと紅茶だけで、卵料理やベーコンなどは付かない。「海外旅行の朝ごはんにガッカリした」という話は、たいていこのパターンである。予約した宿の朝食がコンチネンタルなら、そもそも朝ごはんに期待するのが間違いである(^^;)。
一方のイングリッシュブレックファーストは、コンチネンタルに加えて卵料理、ベーコンにソーセージ、焼きトマト、などの火を通すおかずが付いた料理……つまり豪華な朝食である。
我々が宿泊したChancery Court Hotel, London(チャンセリーコートホテル)内レストランの朝食はビュッフェになっていて、好きなものを自分で皿に盛る形式だった。もちろん卵やソーセージなどある、イングリッシュ・ブレックファーストである。ここの朝食はかなり豪華で、パンは様々なものがありどれもとても美味しかった。特にクロワッサンは美味い。
おかず類もスクランブルエッグうまい、ベーコンうまい、ソーセージうまい(ただし朝からにしてはちと重い)、焼きトマトよく分からんけどなんか豪華そう、フルーツも色々ある、などなど。
しかし、実はチェックイン時に朝食は宿泊料込みということをきちんと確認していなかったため、その辺が最終日のチェックアウトまで気にかかっていた。「実は朝食込になっておらず、最後にまとめて請求されるのでは……」とか、「込みなのはコンチネンタル部分だけで、卵やソーセージを取った途端に追加料金がかかるのでは……」とか。
まぁ結果を言うと、きちんと朝食は宿泊料に含まれる料金になっていたので追加料金は取られず、杞憂だったのだけどね。
それにしても、イギリスの飲食店では店員さんがとてもよく話しかけて来る。Tea or coffee? は当然として、注文が何も無くても"Everything is OK?" と「何かご用は?」的な感じで時折聞かれる。こういう際は、とりあえず"Fine."とか答えておけばよいのだが、どうも昨日から英語に若干コンプレックスを持っていた私は、ちと神経を使ってしまった。
なまじっか私は、自分が多少は英語が得意だと思っていて、はじめに店内に入って席に座るまではきちんと英語で対応できていた。でもそうしてしまうと、もう英語を話せるものと思ってネイティブレベルの速度で話しかけられてしまうので、そのあとはずっと "Pardon?", "Could you speak more slowly?" と聞き返すハメになってしまったのだ。しかもそれで言い直してもらっても分からず、何度も聞き返すことも多々あった。
結果、次はいつ話しかけられるか……とビクビクしてしまい、食事中はあまりリラックスできない感じが最終日まで続いた。今思えば別にそんなにビクビクする必要は無くて、こっちは日本に生まれ育ったんだからネイティブレベルの英語はできないのが当たり前なのだ。だから相手の発言を聞き返したり、分からない場合は素直に「分からないよ!」って言えばいいじゃん。って思うのだが……。
イギリス旅行で分かったのは、海外での語学力というのは、やはりコミュニケーション能力なんだ、ということ。相手の言うことが分からないときや、相手に何度も言い直してもらっているとき、さらには相手があからさまに「こいつ英語分からんのか」って顔をしていても、そんなことにはいっさい凹まずに"Pardon me?", "Could you speak more slowly?"が返せることこそ英語力なのだ。
私はスピーキングもリスニングもそれなりに自信があったし、実際にロンドンで本当に英語に困ったことはほとんど無かった。でもはじめてのイギリスでなんだか肝っ玉が小さくなってしまい、相手に話しかけられても全然分からなかったらどうしよう……ということばかり気にしていたようだ。
たとえば買い物とかするとき、私なんかよりも、英語をほとんど話せない大阪のおばちゃん達の方が、よっぽど「会話」はできるんだろうな……と、遠いロンドンの地でしみじみと思った。そして理解したのは、英語が「話せる」ようになるには、凹まずに何度でも言葉のキャッチボールができるよう、ある種の「図々しさ」と「開き直り」が必要なんだなァということ。