パソコンデビュー(仮)

まともにパソコンを使った日。


 私の通っていた中学(川崎市立東橘中学校、未だにホームページは無いみたい)には、豪華なパソコン室があった。校舎は古くてボロボロなのに、そのパソコン室だけは新品のピカピカで、冷暖房まで完備されていた。ので、生徒の憧れの的となっていた部屋である。が、それ故に管理も厳しく、滅多なことでは侵入できなかった。
 確か当時は、教育委員会あたりで一瞬だけ「学習の場にパソコン」とかいうことが流行り(2000年の「IT」みたいなもんやね)、その予算で出来たものだと思う。

 そこに、ずらりと20台ほど並んでいた機種は……実は、はっきりと覚えていない。FM-TOWNSだとは思うのだけど、違うかもしれない(FM-Rかなぁ?)。なにしろ当時は、まだパソコンへの知識など皆無だったので、機種の興味など湧かなかったのだ。
 (もっとも現在は、郵便局の窓口の奥にあった旧蜂の型番を見たいが為に身を乗り出してしまい、怪しまれるほどの人間になってしまった(ぉ。)

 で、覚えているのは、電源を入れると、全角の日本語で、左下に、

メモリサイズ 640KB

 とメモリチェックが表示されていたことと(メモリサイズの値はいいかげん)、

A:\>poff

 で電源が切れたことだけ。だから、旧蜂かエプソン互換機、及びMacintoshで無いことだけは確かである。未だにこの機種は何だったのか分からないので、分かる方は教えて頂けると嬉しいかもしれません(ぷ。

 さて、このパソコンに触って、私は小学生時代に学研で学んだ(つもり)だった、BASICという奴に触りたくなった。が、授業は最初にお絵描き(アシストアートだった)、そして表計算(アシストカルク)と進んでいき、私の目指すBASICという奴はやりそうになかった。
 しょうがないので私は、ちょっと勝手にBASICをやってみようと思ってイロイロやっていたら、

A:\>

 とだけ出て、固まってしまった(と思った)。リターンキーを連打したら、

A:\>
A:\>
A:\>
A:\>

 とさらに自体は悪化してしまって(と思った)、焦った私はリセットを押した所、システムは再起動して見慣れた起動メニューが出たので安心した(ぷ。
 そう、そういえばその起動メニューも先生の自作だったのだろう、簡単なメニューだったが、私は単純に「すげぇ」と思っていた。

 授業は進み、ロゴライターという奴に入っていた。そう、知る人ぞ知る、カメさん(タートル)を操る、LOGOを元にしたオール日本語のプログラム言語である。「てじゅんは」「くりかえせ 4」「ペンをおろせ」「ペンをあげろ」「まえへ 100」など、実に味のある言語であった。もはや大変に稀な言語となってしまったことが悔やまれる。
 実際、今でも、小学生くらいにプログラムを学ばせるなら、このロゴライターを使った方が直感的で分かりやすいと思う。そのくらいの学年だと、プログラム例としては、生徒の目を惹くために絵を描かせるだろうが、ロゴライターならタートルが描いていく様子がよく分かるので、その辺が理解しやすいのだ。

 確か、サブルーチンも、

てじゅんは ほげ

 とかで作っておけば、メインルーチンから「ほげ」で呼び出すことが出来た。うーむ、実にオブジェクト指向だったんだね(嘘)。
 (今調べたところ、リカージョンも出来るらしい。うーん、なんかまた使いたくなってきた。)

 このロゴライターはなかなか面白く、また音楽も演奏できたので(BEEP音だけだが)、私はこれでカーペンターズのYesterday Once Moreを打ち込んで、演奏させてみた。所々打ち間違いなどにより音が変だったので、何度かデバッグ(と言うのだろうか)し、曲がりなりにも曲は完成した。
 これが、私のプログラム初作品であった。

 授業は進み、念願のBASICもやったのだが、私はその時はもはやBASICよりもロゴライターの方に心が移っていた。


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